先月に引き続き、立体的に考えてみる話です。
スカイツリーの高さと富士山の高さを比較しようと思ったんです。
結論から言うと、スカイツリーは富士山より低いです。当たり前でした。ところが、あべのハルカスは富士山より高いです。北岳は富士山より低いです。羊蹄山は富士山より高いです。
何を比較したかというと、地球が丸いことを踏まえて、見上げることになるか、見下げることになるかです。全部ChatGPTとのやりとりで答えが出たのでおもしろかったです。結構間違えるんで、正してあげながら計算してもらいました。「富士山の方向に一番高いのは富士山です!」なんて当たり前なこと言うなってね。
スカイツリーの方向に、富士山山頂を投影すると、富士山山頂の方が1.39km高いらしいです。
あべのハルカスの方向に富士山山頂を投影すると、富士山山頂の方が4.57km低いらしいです。
富士山から220km離れると海抜0で富士山を見下げるようになります。思ったより地球が丸いので驚きます。
転じて。
他人と比較して劣っていると感じたり、みんなについていけなくて生きづらいと感じている子どもがいると思います。ベース(基礎、地盤)が平らだと思うと、そこからの高さで比較してしまう。北岳と富士山みたいに距離が近いと、隣と比べちゃう。同じ方向により高くいかなきゃいけないと感じる。森の中の樹木はその森で一番高くならないと太陽を浴びれないから競争する、森の中で優劣がある。でも樹木はきっと、地球が丸いことを知らない。
ほんの一次元増えただけで高さの概念が変わってしまうというのに、個性という無限の方向性をどういう断面で切ったら比較ができるというのでしょう。辛ければ森を離れていい。違う地盤に立って個性の方向に伸び続けたら、その方向にいちばん伸びているのは自分だけ。
気持ち悪い事言うと、そうやって人類全体の触手はあらゆる方向に広がって、より大きな集合に育っていくのでしょう。本能的で自然なことだし害がないから人類全体から歓迎されていい。スポーツ選手も冒険家も高僧もある意味触手を伸ばす係だと考えています。
うちの子は特別支援学級に通っているんですよと話しかけてくれたお母さんに、面食らって黙ってしまった自分。お子さんはどんなことが得意ですか、という会話ができたらよかったと、自分のコミュニケーションの瞬発力不足に悶えております。
