常々、過去と他人は変えられないから悩むぐらいなら今の自分を変えるしかない、と言っている私です。管理職には向かない人間です。
他人(組織)に対する責任をどこまで負うか、について。
中学生が委員の役割を担っているときに、どこまでの責任を負うべきかという話です。授業中静かにしない生徒らがいて、その生徒らのことで学級代表委員と生活委員が集められて話し合いの時間を持ったというのです。話し合いで拘束された理由と時間と、生徒が出した対策を先生が承認しなかったことに不満だったというグチを聞きました。
私もその話を聞いて、先生はどこまでを生徒たちに期待しているのかよくわからないなと感じました。委員はクラスメイトの行動の責任を負う必要があるのでしょうか。同じ生徒であって役割は交代しうること、賞罰権限がないこと、委員手当をもらっているわけではないことを考えると、責任は負わないというのが私の考えです。
先生は生徒に対する結果の責任を負う管理者の立場であって、生徒は委員の役割を果たすことを期待されたリーダーの立場だと考えます。もちろん学校という組織は先生も生徒もみんなで作るものだと思っていますが、負うべき責任の違いがお互いに明確でないと、押し付けになって話し合いはうまくいかないんじゃないかと思います。
職場だと、立場の違い=権限と責任と報酬が見合うようにできている(?)からもっと責任の区分がわかりやすいでしょうか。
管理職はチームの結果の責任を負う。チームの成績が悪ければ管理職をはずされたり減給されるリスクの一方、チームの誰に何を任せるか、どのように業務を進めるかの決定権を持っている。だからメンバーの能力次第で別の業務にまわすこともできる。
管理職はメンバーの中でリーダーを定める。管理職はリーダーにプロジェクトの進捗報告や手段の提案を命じる。これも権限。
リーダーは命令に従って報告したり提案したりするところまでが責任で、結果の責任は負わない。権限は特にない。英語だとResponsibilityというのでしょう。実施責任、遂行責任、努力義務。やらなければ交代。
中学生はこのResponsibilityの練習段階でしょう。しかもプロジェクトが自分が含まれる組織の運営だとすると複雑です。権限なしに他人を変えろというミッションにはとても応えられないし、そもそも他人なんて変えようと思って変えるものじゃない。静かにしない生徒を問題と捉えるかどうかすら、現代の世界では意見が分かれるのだから。風紀とはなんぞや。
話し合いに参加する、提案する、決定されたことに従う。ここまでが学級代表委員と生活委員に期待されているResponsibilityだということを理解して、真剣に取り組めばそれでいいハズだと子供たちに言いたい。
学校に限らず、管理者は担当にResponsibility以上を期待してはいけないし、転嫁してはいけないと考えます。
私も個人ではありますがチームを組むことはありますから、タスクを与えるときも結果を受け取るときも組織外に発信するときも、常にどの立場であるかを意識したいものです。
